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私たちはどこへ

≪この発表は、2016年3月16日実施の多摩療護園職員内部研修会から転用しました≫
 
『私たちはどこから来て、どこに行くのか・・・』
第1部 施設の成り立ちと支援経過=2P
第2部 支援者状況の変化に対応して=22P
第3部 東京都旧療護施設の特徴と背景、そして今後=61P
・・・園長 平井 寛(東京都身体障害者施設協議会 会長)

 
多摩療護園職員の皆さんよろしくお願いします。一昨年の全国身体障害者施設協議会(身障協 )全国研究大会での研究発表(須田・岩谷担当)が『衝撃的だった』という最大級の賛辞をいただきまして、昨年夏千葉県身体障害者施設協議会から講演をお引き受けいたしました。1970年代から残っている職員は私を含め、もはや2人しかいなくなりましたし、新人職員も増えています。折角ですので少しアレンジして、当園の歴史経過と展望=『私たちはどこから来てどこに行くのか』としてまとめてみました。
2  第1部 施設の成り立ちと支援経過
当園の正面です。旧園は2階建ての長屋風でしたが、今は17年前に移転改築して巨大マンションという感じです。運営はかつて長く都立民営委託方式でしたが、指定管理を経て、7年前に民間移譲されています。その際、前法人から分離・独立した『東京緑新会』という社会福祉法人を立ち上げました。
3  居室です。1999年の移転改築で2人部屋から個室となっておりますが、同様に都内身障協会員施設はすべて個室です。
4  スヌーズレンです。通所生活介護には、1日当たり23人が見えます。そのうち9人が重度・重複障害者(重症心身障害者)の方たちで、気分の安定のためには必須の装置です。泡や光が出まして音楽やアロマと組み合わせながら、癒しの効果などがあります。
5  さて、多摩療護園の歴史編です。当園が開設された1972年4月は、旧療護施設が誕生したときです。実はこの頃、障害者権利条約策定の重要な論点ともなりました医学モデルの弊害とも言える、毎日ADL(日常動作)訓練を押し付けられたことや外出の制限などをめぐり、当園の前身ともいうべき都立府中療育センターで、(当時の利用者に対する呼び方で言いますと)『在所生』による抵抗闘争があったのです。そして当園との関係においては、当時東洋一と言われていました都立府中療育センターから、身体障害者福祉法の改正によって重度身障者のみが(当時多摩更生園と言っていた)当園へ移転させられることになり、これに反対する一部の在所生が東京都庁に1年9か月もテントを張って座り込んだという出来事があったのでした。「過度の訓練を今後も強要された上に、移転により本格的に自分たちは隔離されるのではないのか」という危機感が反対当事者側の根底にありました。そして、「移転反対と叫ぶ」集団の声を聞きながら、当園への移転は府中療育センターの裏口から逃げるようにして断続的に実施され混乱を極めましたが、長期にわたる反対闘争は、都知事との和解で収束しました。そんなことがあってから、東京都は施設利用者の権利を尊重する姿勢に転換したのです。利用者と学識経験者や東京都で、新たな施設づくり建設委員会を設置しました。またその一方で、ボランティアに支えられながら地域生活に入った元在所生たちもいます。実に、府中闘争の決着には最終的に日野療護園開設までの約10年の歳月を要したのでした。
6  都立府中療育センターは1968年に東京都の肝いりで建てられました。当初は重症心身障害児(者)【今は特別支援学校などで重度・重複障害児(者)と言っていますが】を受入れる施設を予定していました。しかし、途中から住民の反対で施設建設の進まない重度身障や重度知的の障害者も受け入れる方針となりました。これが、医療管理と生活権めぐる争いの基となったとも言えます。
7  「親切な職員配転でハンスト」「監視、まるで檻の中」という見出しが目につきます。入所の際に、死亡時解剖承諾書へのサインもさせられました。
都庁座り込みの様子です。重度知的、重度重複の利用者は移転の対象になりませんでした。
当園への強行移転と、その後知事と和解が成立したときの記事です。
10 開設間もない当園では、利用者自らが自由に過ごせる環境と対話のシステムを整えようとして行きました。そうしたことから、開設翌年の73年4月には利用者自治会が誕生しています。それには、府中療育センターから入所した人たちと在宅から入所した人たちの情報共有が大きかったと言えます。府中闘争の障害当事者は、1の地域自立生活派と、東京都の施設建設委員会に参画した、2のいわばより良い施設建設派とに分かれ、開設後約9か月間以上遅れた移転により多摩更生園にやって来た大多数の方々は、先に入所していた元在宅者と共に施設のあり方を変える第3の道を踏み出すこととなったのです。ここが重要なところです。府中闘争については、過去に障害者運動当事者や研究者たちが様々な出版物を出していますが、いずれも障害者の人権侵害に不屈の精神で戦ったといった特定の障害者のみが持ち上げられています。しかし、大多数は家族に迷惑をかけられないと悩みながら、あるいは事の成り行きにほんろうされながら当園に移されてきた方たちで、過去の府中での暮らしを否定的にとらえる少し知的に障害のある方もいらっしゃいました。彼らもまた当事者であり生活者であったわけです。そして在宅から入所してきた有能な自治会長とともに、施設での新たな生活づくりを開始したのでした(ちなみに、初代自治会長○○さんは難病を抱えた方で、72年7月に入所され88年8月に亡くなられました。私の記憶では1944年に海軍幼年学校に入られ、そのまま戦争が継続していたら特攻隊に行っていたかもしれないとおっしゃっていました。戦後は郵政省で勤務されていたということでした)。
11 自治会は、東京都に対する職員人員増配置の要望、利用者定員を半数までとする要望、施設進入路の舗装化の要望、選挙管理委員会に対する一般投票所での選挙権行使の要請など、ソーシャルアクションの取組みを(何もソーシャルアクションは、ソーシャルワーカーの専売特許ではありません)利用者自身が自らの課題として行ったのでした。そして施設内では、同性介助、飲酒・喫煙の解禁などを利用者自身の提案で実現し、1979年の電動車いすでの単独外出自由化をもって施設創設期を終えたと言えます。これらの取り組みの背景には、都立府中療育センターが当時の東京都衛生局管轄、多摩更生園が東京都民生局管轄で、医療と福祉という違いが重要な基盤の差としてありました。利用者は以前より自由になりました。それでも、一部の利用者の中には、かつて訓練づけにされてきたトラウマの克服に苦労する場面もありました。明らかに生活の妨げになる長時間のTシャツ1枚の着替えを自分で行わないと、1日が始まらないのです。しかし、以前の「医療施設」とは異なる当たり前の暮らしを目指す「生活施設」の基盤の上で、利用者の「自己開化」=エンパワーメントがパンドラの箱を開けるようになされました。
12  エピソード1、自治会の取り組みは、1975年7月からの飲酒解禁の取り組みが面白いと言えます。というのは、10か月間、13回にもわたる利用者と職員の話し合いの末、自己責任を前提として最後は利用者・職員・園長が集まって満場一致で決まるのですが、途中の議論では女性職員から『私たちは生活の介助をするのであって、ホステスではない』男性職員からは『今まで通り隠れて飲めばいいではないか』などの意見が出されていました。自治会の粘り強い取り組みの一端です。画面は、利用者が一般投票所での投票ができるようにするための取り組みです。選挙管理委員長宛に自治会という団体組織として質問状を送るところが技術的なポイントです。もう一つのポイントは仕組みです。「園生活研究会」という場の意味です。発足時は「園生」の参加はできませんでした(園生とはちょっと古い言い方ですが、当時は措置制度でまだ利用者という概念がなかったので、あえて使わせてもらいます)。しかし、話し合いの末「園生」も参加できるようになり、何事も合議で障害者・職員・園が対等に話し合う仕組みをつくったのです。今もなお、それは園・自治会定期協議会の翌日に開かれる利用者・職員懇談会へと引き継がれております。
13  70年代後半から90年代にかけ、特に80年代は様々な利用者が園内クラブ活動を出発点として、詩集・句集・半生記などの製本や、絵画・書、生け花、囲碁・将棋、演劇、機械工作などを行い、外部カルチャーセンターにも通いました。カルチャーセンターは、組み紐教室や料理教室、絵画教室等内容は多彩で、当時は介助者なしで地域が受け入れてくれるおおらかさもありました。また、大勢のボランティアに支えられた夜間中学・高校夜間部への通学、作業所への通所、リサイクルショップの店番、関西のボランティア団体やグループホームと共同で実施した3泊4日の関西単独旅行など毎日多くの利用者が出かけました。まさに、それらは現在、全国身体障害者施設協議会(身障協)が取り組んでいる『スペースモデル』(私たちが創るコミュニティケア)のような実践です。
14  エピソード2、画面は、私が中心的に支援した男性利用者の就学への取り組み例です。支援者は主体者ではないから「エンパワーメントだ」(主体はあなたよ)と気楽に考えがちですが、社会的経験をほとんど積んでこなかった当事者にとっては、担がれた神輿が不安でいつでも飛び降りたいのです。ご本人は「入学は認めてくれない」「無理かもしれない」と、課題の出るたびに一喜一憂が激しかったのです。大勢のボランティアの存在がある。簡単に止めるわけにもいかない。そのことを分かった上でどのようにサポートするのか。私にとっては、人生に幾つもない必死さだったという記憶があります。
15 エピソード3、今個人史づくりのボランティアが静かなブームになっていますが、利用者自身が生きてきた証をつくる取り組みにも、何人かの積極的な職員がおり取り組んできました。やはり思い出は世代的に戦争に対する辛い思い出や差別のことなどです。そうした自己表現活動は、職員が介在しないと殆どのことが自身ではできないのですが、会話の中で気持ちを察していくことが大切です。私も反戦平和の○○さんと個人的に広島原爆資料館へ行き、足を延ばして山口県の湯田温泉という、勤皇の志士が密談した由緒ある温泉旅館に泊まってきましたが、風呂上がりで○○さんを1人で介助していると、お客さんが『倒れている人がいる』と思ったのか、「どうしました」と血相を変えて近づいてきました。良い思い出です。
16  そして、1989年から4年半ほどの年月をかけて施設改革にも取り組みました。きっかけは、夜間入浴の導入でしたが、改革のテーマは指導課と療護課を解体し生活部介助班として統合する『ケアワークとソーシャルワークの結合』に行き着いたことでした。約1年間の準備期間を経て「1992年には日本初の施設オンブズパーソンも設置しております。そうした延長線上に、アパート等一般住宅での生活もこれまでに延べ18人が実現されました。結婚も4例あります。いずれも、全面介助を必要とする重度の方々です。最近では、身体・知的の重複障害の方のアパート暮らしも実現してきています。これには、2002年から実施している園内ピアカウンセリング、園内自立生活プログラムの効果があると言えますし、退園後は、週1回の当園マット運動や行事への招待などアフターケアーにも努めています。
17 エピソード4、施設改革に反対する一職員の利用者に対する暴言問題に端を発した事件で、弁護士の介在により問題の決着を施設オンブズパーソン設置に照準を合わせることとしました。そして、準備会を重ねながら1992年9月16日第1回オンブズパーソン会議開催日が正式な設置日とされました。反響は大きく「自分の勤める施設はひどい施設で何とかしたいが、利用者も、職員も何も言えない。外部からオンブズマン制度を作ってもらえるようにできないものですか」とせつせつと電話で訴える他県の施設職員もいました。
18  地域自立生活支援のイメージについて、施設改革後のオンブズパーソン設置の影響は大きく、障害当事者団体所属の委員による働きかけもあって、自立生活に向かう利用者の気持ちに高揚感が見られました。地域自立生活支援を段階ごとに、ことわざ風のアレンジを試みると、こんな感じですか?
19  エピソード5、実は当園の自立生活は、1976年に女性利用者が園外の男性障害者と結婚し、施設の近くでアパートを借り暮らしたのが最初でした。これまでに18人の自立生活者が生まれていますが、18人目の方は成年被後見人で、旧法禁治産から引き継ぐ家族後見の妥当性をめぐりご本人が家裁に訴えることとなった経過をたどっています。2度の精神鑑定を経て成年後見類型の変更後に『自立生活』を実現されましたが、後見人の解任を求める裁判の弁護士費用を後見人が払うという前代未聞の事態にもなりました。最終的に裁判所が「後見」の判断は妥当ではないとし、「後見」から「補佐」に変更され、保佐人は家族と関係のない新たな弁護士と決まったのです。この事例は、これまで一貫して本人の自己決定権を尊重し、長年寄添ってきた職員のプロ意識が投影されていると言っても過言ではありません。もちろん、自立生活に漕ぎつけなかったり、あらぬ方向に行ったりした場合もあります。家族に反対されて諦めた事例、折角地域での生活が実現したのに支援者と本人の思いにずれがあり、特定のヘルパーへの依存がむしろ深まった事例などです。
20エピソード6、どうせやるなら職員は、「共生社会」=(誰しもが普通に生活する)をイメージして楽しんで支援した方がよい。それは、自分たちも支援主体としての当事者だからです。施設がそこまでやるのかと思われるかもしれませんが、一人で遠くから列車に乗り東京に来る重度障害者を当時何人も知っていました。施設にいる障害者ももっと自立的な思考を持とう。社会資源を使って旅行だって出来るよ、というのが当時の共通認識となり、単独冒険旅行に行った9人中6人がその後自信をつけ自立生活者となりました。
21  当園で地域移行した方たちは、退園時の平均年齢が48歳ですので、中には比較的早く脳性麻痺の二次障害や様々な疾病にかかってしまいます。そのため再入所を求める方もおりまして、実際に退園後7年半後に戻られた方もおります。また、地域移行後気管切開と胃ろうの状態となり、再入所を希望しながらさびしく病院で亡くなられた方もいます。地域移行という輝かしいライフステージにさっそうと上る場面ばかりが強調されていますが、人は衰えていくものですから、ライフサイクルを意識してトータルなその人の人生に寄り添う支援が必要となります。
22 第2部支援者状況の変化に対応して
ここから少し視点を変え、支援者側の状況について触れていきます。地域生活に出られた方たちだけではなく、施設内の利用者も高齢化し、重度・病弱化して行きます。このことを強く意識したのは80年代後半の頃からでした。様々な利用者への支援実践は、利用者の自己実現や権利の獲得に繋がり、職員も共に体験する中でさらに支援の質が高められるという相乗効果が期待されます。しかしその一方で、職員への負担は深刻な職業病問題としてのしかかってきたのです。80年代後半には、2人同時の慢性疲労性の腰痛症、頸肩腕症候群の認定が当園でなされました。当時介助支援職員の実に3人のうち2人が腰痛症などの既往症状がありました。そこで介助業務の公平性や業務方法の改善等がテーマとなったわけです。これが業務実態調査の実施に繋がりました。重度障害施設の歴史は職業病との戦いの歴史と言い換えてよいのかもしれません。
23  80年代後半から90年代始めにかけて、業務の公平性に関する課題を検討しました。介助業務量に偏りがあると特定の職員に負担が蓄積され腰痛等で休むことになる。そのことがまた他の職員への負担に波及し、悪循環となることが当園の施設運営の中ではしばしば確認されています。特に夏場、冬場、梅雨時、世の中の景気が良くて施設に人材が集まらなかったとき等はてき面です。そのため、各人の業務量を比較しやすいように「ケア行為ごとの業務量を数値化できないか」というのが最初の問題意識でした。介助業務量・業務密度の数値化については、タイムスタディ調査を外部に任せると何百万円もの費用がかかります。加えて、職員が付いて観察すると膨大な人数が必要となり不可能です。しかも、仮にそれを実行して業務の合計時間が分かっても職業病などに関わる業務量がすぐに分かるわけではなく分析に手間がかかってしまいます。そこで考え出したのが、介助内容を可能な限り拾い出し、項目ごとに支援の負荷や困難性、対応時間を総合した5段階の点数表の作成です。これを使って、職員が介助業務中に利用者の誰にどのような介助を行ったかを網羅してもらうことにしたわけです。実際の運用では、部分的な記入漏れがあっても、そこは利用者の生活パターンを知るベテラン職員が厳密にチェックし、記入者へのヒヤリングなどで修正する。想定しない介助内容も類似した項目との比較で慎重に点数を割り出しました。最初は、入浴日が限定されていたので1週間の調査を行い分析に時間を要しましたが、30分単位・24時間の男女フロア別介助業務量と密度の指数を求めることができました。その後、精度に自信が持てるようになってからは、3日間、1日間と、調査期間を短縮しても実態把握は可能となりました。
24 集計基準一覧表(2011年版)です。わかりにくいので資料の最後に記載しております。
25  この業務実態調査でわかったことは、男女で介助業務量が違っていたこと、職員個々人で業務量が違っていたこと、入浴日と入浴日でない日の業務量が極端に違っていたこと、加えて時間帯ごとの業務密度が得られたことです。
26  順番に行きます。まず男女の差ですが、92年と93年の調査で、女性職員が12~16%男性を上回っていました。そのため、職員対利用者比を男女のADL業務量の実態に合わせて変更しました。
27  これは、99年に行った調査で、2つの女性フロア別24時間ADL業務量のグラフです。夜間入浴の時間帯の業務量が多い結果となっています。
28  同じく密度比較です。人員配置の違いで起床介助の密度が夜間入浴の時間帯を上回っています。ここで驚かされたとされるのが、6年前の調査にはなかった。起床介助時の『連続的ホイストワーク』という現象です。ホイストとはリフト機のことで移転改築の際居室にも設置されました。以前は持ち運ばなければならない充電移動式リフト機が2台しかありませんでしたので、起床介助の高密度状態では、女性で1.5時間集中して働くことが限度でした。しかし、時間も短縮された上に対応時間も飛躍的に伸びたことが分かりました。起床介助の手際のよさが一気に高まったことを99年に確認しています。
29  これは2011年の男女支援回数の比較です。女性の方が日中から夜間に架かけてこまめに対応していることがわか ります。
30   同じく2011年の男女カテゴリー別介助量と回数で、棒グラフが回数、折れ線グラフが介助量です。排泄・入浴などの基本項目と、その他項目で女性が上回っています。その他項目に入る内容では、居室での様子観察やケア表チェック量などが12年前の調査と比べ多くなっています。
31   男女ケア量の差の理由について、当園が同性介助を原則とする中で、「障害が重くても可能な限り排泄はトイレで」という約束から、男性は尿器等で簡便に行えるものの、女性は便器に座る介助をその都度行うなどの差が大きいことが92年、93年調査で裏付けられました。女性が利用者・職員共々具体的な日常生活の質にこだわりを持っていることも一因かと思います。
32   次に、もう一つの課題である職員間の業務量の差についてです。この表は92年の調査資料を簡略化したものです。時間帯別・単位別に区分けされたケアチーム合計業務量の持ち分比率を基に算出しますので、一定の期間行わないと見えてきません。1週間調査をしたのはこの1回ですので貴重なデータです。結果は普段の職員の働きぶりが重なるので、集計結果は納得すること然りという状況でした。
33   その上で、職員間の業務量の対応差はどこにあるのか分析しました。対応量の低い人はサボっているということかもしれませんが、利用者との関係がつくれないため、利用者自身が拒否的になっている様子がうかがえます。また、業務対応量の多い人は貢献度が高いように見えて、利用者のペースに合わせられない問題もあります。利用者との信頼関係や職員同士の共通認識の土台の上に、適切なチームワークをどう作り出せるのかという取組みにかかってきます。
34  次に入浴がある日とない日の業務量差の問題で、92年の調査では大きく違いがありました。
 
35   結論から言いますと、夜間入浴を導入し365日少人数ずつで行うことにしました。当然夜間の業務量が上がることになりますが、疲労の蓄積は抑えられ、利用者の日中活動の充実にも繋がりました。
36   勤務体制の変更は、職業病対策には効果的でした。また、1日の労働時間を7.5時間と30分短くし、4週7休としていることも1日当たりの人員確保の増加が図られ、利用者・職員共にメリットがあります。
37   そして、腰痛など職業病対策に力を発揮したのが、天井走行リフトです。最初に導入したのはトイレで30年近く前になります。その後浴室、居室へと年月を掛けて設置してきました。しかしケア量はどんどん増加していきます。
38   先ほども触れましたように、1人の職員がリフト機を使った起床介助時の連続技など、女性の入浴では利用者によって3人がかりで対応しなければならなかった過去の時代から想像もつきませんでした。移乗用リフトは一見遅いように思われますが、あまり疲れないため長時間対応できるわけです。特に若いうちから介助労働を行ってきた女性職員は10年20年単位で働ける期間が延びたと言えます。
39   長年職員と費用折半で職業病対策治療室まで運営してきた当園ですが、全居室へのリフト導入から6,7年後には、腰痛がほぼ聞かれなくなったのです。しかし、ここにたどり着くまでには様々な課題がありました。主なものを挙げてみますと、①利用者の使用拒否問題については、無理な説得を止めて何年も待つことにしました。ある利用者の方は結果的 にご本人が亡くなる数年前まで待ちました。②重症心身障害者に近い身体状況の方などには使用が難しい場合もあります。③最大の問題は職員の理解で、特に男性職員は時間が掛かると否定的でした。しかし、パワー介助は利用者・職員双方にとってリスクが高いことが次第に浸透して行きました。④わずかな対象者ですが、立位がかろうじてとれる利用者の介助方法は、ベテラン職員が対応できても、出来ない職員が多い場合があります。また、実際はご本人が過去のイメージで自分の残存機能を過大に認識している場合がほとんどでした。ケースバイケースでの対応となりましたが、全般的な重度化の中で、現在障害区分は全員6ですのでほぼ課題とならなくなっています。⑤宿泊旅行はベテラン職員による研修を行わなければなりません。⑥障害が重くなるにつれてそれまで使っていた吊り具が使えなくなり業者との共同開発もしてきました。そのため多摩何号という吊り具もあります。
40   今世紀に入ってからの調査は、障害程度区分別ADLケア量のサンプル調査、地域自立生活と施設生活のコスト比較調査、都内施設共同での施設医療支援と関連項目調査などですが、コスト比較は最重度者(支援区分6の中でも重い方)がGH(グループホーム)で生活する場合のコスト当時は出せませんでした。今は見えてきていますので、現時点での東京の場合(大雑把かもしれませんが)、GHが1人約年間500万円(ただし日中の生活介護も重心補助込みで500万円)、施設入所が約1000万円、アパート暮らしが約2000万円で、施設は建設コスト・維持費が一番かかりますからGHが比較的に安上がりということが言えます。そして、かつてのような24時間全調査は、12年ぶりに行った2011年のものだけです。その間、介助職員の医療的ケアやケア表チェックなど医療関連項目は増えましたが、施設外への通院車両運転や付き添いなどはADLケア量に換算していません。施設外のケア量を除いた、施設内のケア量だけ でも12年間で約25%増えました。
41   同じく2011年調査の類型別詳細データの例です。ケア表チェックは24時間で720件もあり、集計基準一覧表の1〜5点の範囲よりも低い0.5ポイント換算で介助量の修正をしています。
42   これも2011年調査データの一部です。総介助件数のうち職員判断の対応が78%と8割近くになっていることから、支援する職員は、完全に支援動線を頭に描いていなければなりません。3階女性(利用者14人)の18:00~20:00の業務量が極端に高くなっています。これは、当時の3階女性職員のメンタルヘルス調査結果(ストレス度点数の高さ)とも符合します。
43   1999年のデータです。93年からの夜間入浴導入の影響もありますが、業務量はA勤の早出勤務よりもB勤の遅出勤務が上回り、遅出の人員のほうを多くしています。その他日中活動要員やコーディネーターの業務量にC勤の夜勤業務量を加えてみると、夜間の業務量が日中を大きく上回ります。生活介護と施設入所支援では昼の生活介護の報酬がはるかに高い状況ですが、支援業務量は全くの逆転現象ですので信じられない事態です。
44   これまで見てきた全体のケア量調査は、他方で個人別ケア量もわかるようになります。個人別ケア量指数を点グラフで分布させ、2003年の支援費障害程度区分判定点数(記憶されている方もいらっしゃると思いますが、54点が満点のABC判定です)と合わせてみました。すると、相関関係が指数の平均値では見事に連動し一致します。区分点数間のケア量逆転はありませんでした。しかも、障害程度区分判定点数が50点位から上に行くと、幾何級数的に介助量は跳ね上がることがわかりました。これは、上限に近くなると重度の身体障害に加え、認知に障害がある利用者が増えて介助をさせてもらえない等の支援の困難性が高まり、医療的ケア状況も多くなるからです。この表のADLケア量は当園の1999年時点の支援実態を基に指数化し基準としています。点数の低いケースのケア量はあくまで推定です。
45   グラフにするとこのようになります。Aランクの一番低い37点と一番高い54点では3.8倍のケア量の差となりました。また当園では、当時障害程度区分判定Bランク平均31点(全体の6.5%)の1人当たりケア量とAランク上位平均53点(全体の30%)の1人当たりケア量の差は6.1倍にもなりました。実に当園でケア量の少ない集団とケア量の多い集団では平均で約6倍の差だったのです。しかも、当園などはケア量の多い方の比率が圧倒的に高いわけで、こうした介助サービスの総量や支援実態などを考えると、「東京都の施設は人員が多いから余裕がある」といった見方は、妥当な評価とは言えません。私たちには、誇りと自信を取り戻すことにも繋がりました。それは、都庁の中でも「都立重度」と以前から語られてきた利用者実態の証明であり、今では主に都内の療護系6施設が該当すると言えます。都の広域入所調整で推薦される方々は重度・重症化が顕著となり、支援の量と支援の質とがせめぎあう困難性の高い支援環境の克服が、現場では強く意識されてきたと言えます。
46   さらに、この取り組みを利用し、都内3施設における全利用者の区分判定点数データを集めて比較してみました。障害が極端に重い方々の分布がどの程度なのかで、大きく施設運営が影響されます。ADL,IADLの点数を活用し、グラフのような『重度化状態と、その傾向の比較表』などの作成で意見交換を行いました。その結果、各施設の平均ケア量が特定され、かつ利用者状態像の施設間比較ができ、施設ごとの傾向と対策が一定程度つかめました。
47   当園の外部医療機関受信件数の推移です。非常勤医師の診療増加がここ数年効果を発揮しています。
48   東京都身体障害者施設協議会(東障協)では、医療支援が増加したため2005年以降様々な調査を実施してきました。
49   ここでも、医療的ケアの数値化ができないかと考え、気管切開からのたんの吸引・管理を10ポイントとする基準により、主な医療的ケアを相対評価で点数化してみました。
人工呼吸器管理が9点で、気管切開からの吸引の10点よりも低いのは、3施設の平均点で算定したためで、人工呼吸器を装着した方が安定しているとの見方が影響したようです。対象件数の合計点を利用者人数で割ると、1人当たりの医療的ケア指数が出ます。
50   人工呼吸器管理が9点で、気管切開からの吸引の10点よりも低いのは、3施設の平均点で算定したためで、人工呼吸器を装着した方が安定しているとの見方が影響したようです。対象件数の合計点を利用者人数で割ると、1人当たりの医療的ケア指数が出ます。
51    これは2010年の調査データで、上が1年以内に東京都の利用調整制度で推薦されるであろう60人に関する、入所希望待機者上位の1人当たり医療的ケア指数、赤で4.67と示してあるものと、下が都内施設の1人当たり医療的ケア指数、赤で2.09と示しているものです。かなり差があります。
52    次が、3年後の後追い調査の結果です。同様に60人の待機者1人当たり医療的ケア指数は5.28と高まっていますが、施設の指数は2.22とあまり高くなっていません。
53    推薦対象の上位待機者は、このデータのように、例えば居所が男性病院では40%が意思疎通のできない方など、相当に重度でなければ推薦されません。
54    このグラフは、3年越しのデータを比較したものです。高齢併設と区枠主体は、区から推薦の希望者がほとんどで、都枠小規模と現・旧都立の施設が全て都の利用調整による推薦対象となります。結果、全てが東京都推薦対象施設の1人当たり医療的ケア指数が高くなるのですが、3年間で施設側の11.1%増に対して、待機者側の増加は13.1%と上回っていました。この2%の差は「施設側が必死に頑張ったつもりが追いつかなかった」厳しい現実を示す調査結果であったと言えます。
55    これは、当園利用者全員分の郵便受けです。プライバシーに配慮しようと、17年前に設置しました。しかし、ご自分で郵便受けまで来られる方はめっきり減りました。
56    これは、当園のエレベータースイッチで、障害が重くても手・足・頭を使って極力自分で押せるように考えました。しかし現在、使いこなせる人は少なくなりました。
57   当園は、利用者の入れ替わりで経管栄養の利用者が約4人に1人から5人に1人と減りましたが、調理のほうは大変です。ソフト食やミキサー食の利用者が、4人に1人から3人に1人と増えたからです。外食はミキサーを持参しなければならないので大変なのですが、このようなソフト食を提供していただけるお店はほっとします。
58   もちろん予約制ですが、ステーキがソフト食で出てきました。
59   当園は44年間生活施設として、利用者とともに歩んできました。そして、利用者の重度・病弱化は、利用者支援のこれまでの価値観を否応なしに揺さぶり続けてきてきます。意思疎通の図れなくなった利用者の権利擁護は如何にあるべきか、負担の少ない生活づくりをどのようにコーディネートするのかなどは日常的な課題となりつつあります。医療が中心ではなくあくまで生活を基盤とした、さらなる生活施設の進化を求めてこれからも考えていかなければなりません。
60   今後、当園のみならず、最重度者の生活施設受け入れが課題になると思われます。認知に障害を抱えた利用者の医療と生活を同時に支援する困難さは、利用者が元気だった頃とは比べものになりません。急速に重度化する可能性がある全国各施設の仲間の皆さんに、こうした経験が少しでもお役に立てればと思っています。
61   第3部 東京都旧療護施設の特徴と背景と今後
(1) 改めて多摩療護園という施設について

さて、第3部に入ります。これまでのおさらいのようになりますが、今日的課題に繋げていきたいと考えます。多摩療護園は、1998年の名称変更前まで東京都多摩更生園と言われていました。1972年4月の療護施設スタート時に、都立民営方式で開設された全国で、もちろん身障協・関東甲信越地区ブロック内でも最初の古い施設です。現在入所定員58、通所生活介護22(うち重症心身障害者9)短期入所2で、相談支援事業は法人で2名(東京都地域移行促進コーディネーター事業兼務1名)の職員を配置しています。法人は、社会福祉法人東京緑新会で、1950年設立の財団法人多摩緑成会から分離独立してまだ7年です。入所利用者の障害状況は、脳性麻痺の方45%、頭部外傷後遺症17%、脳血管障害10%、難病7%と続きます(全員支援区分6)。身体に加え、知的、精神、その両方に障害のある方の合計は88%です。癲癇も27%の方に見られます。
62  (2) 東京都の療護系施設の特徴
いきなり東京都の特徴と言ってもわかりにくいと思いますので、その背景や問題意識について説明します。そして正直に言いまして、これまで東京の事情を他県では発表したくないという思いが強くありました。現在15ある施設の平均介助職員数が、都の大幅な補助金によって国基準額報酬のみの施設よりも多く配置され、短期入所人員を入れ込んで計算すると、利用者1人に対し職員0.97人、ほぼ1:1に近い人員配置という状況があります。そのため、何を説明しても他県からは「東京だから」と言われ、過去には発表の機会に野次が飛んできたという経緯もありました。施設のスタイルも多様です。
63  (3) 東京都の施設が人員の多い理由
何故そうなったのかは、いくつかの要因があります。1つは前段に説明しました「府中闘争」(青い芝の会の運動と並ぶ70年代における障害者2大抵抗闘争と言われている)の結果による影響が大きかったと言えます。東京都は、運用定数という表現による利用者定員の実質削減や、同性介護、外出の保障など施設利用者の生活権に対する主張と、そのための人員について認めざるを得なかったということです。
64  (4) 東京都は土地が高いと都指定の都外施設を設置
もう一つの特徴としては、東京都は土地が高い。そのため都は療護をあまり造らず、他県と比べてもかなり重度の障害者だけの施設に限定したということです。1972年から1981年までの9年間に、多摩、清瀬、日野の都立3療護施設を開設しましたが、次の施設を造るまでに22年間、2003年まで待たなければなりませんでした。だが、それでは入所の需要をまかなえるわけがありませんので、実際には長野、山梨、群馬に各1箇所ずつ東京都指定の都外療護施設を用意して、いずれも都枠入所9割、地元枠入所1割で、都民のニーズを保管してきました。その後、90年代に入ってから、知的の都外施設(白川育成園)で不祥事がありました。この時、都外の身障療護枠は189人分でしたが、知的では42施設約3500人分の入所枠があり、都民障害者を都外施設に追いやっているとマスコミから叩かれたため、1996年以降新たな都外施設の設置は知的も身障もしないというのが都の方針になりました。しかし、待機者は増え続け、現実的にはその後も東京都指定以外の他県施設へ自主的に避難する方は後を絶ちません。
65  (5)小規模や高齢分野併設民間施設を開設⇔都立施設改革の実施
そこで東京都は、都内療護施設は造らないという方針を転換し、約10年間で32~40人定員の民間施設を5か所、10人定員の民間施設を7か所の計12か所を次々と開設させました。その多くは大規模な高齢施設等の一角に併設されており、定員枠は都民枠、区民枠を合わせ242人増となります。一方で、増加する新たな民間施設の補助金などをまかなうために、2001年から3年間で都立施設の介助人員を2割削減しました。続く2004年には、「東京都福祉施設等公私格差是正事業」(かつて措置時代に国にあった民間給与改善費のような補助制度)の廃止による「東京都民間福祉施設等サービス推進費」(医師・看護師の配置体制や地域移行実績などで補助金を出す制度)への転換。さらには、2009年~2015年にかけ都立3療護施設の民間移譲が進められました。しかし、それでも待機者はあまり減らず、重度化状況に対応できない事態はむしろ深まったと言えます。
66  (6) 人員の厚さや経験を利用者支援に反映させるために
東京で施設運営を行うということは、国基準で運営されている施設とは条件が違い、肩身の狭い思いをしてきました。しかし、重度の方が大勢利用されており、そうした方々に補助金に見合う水準の支援を提供しなければならないという使命が伴います。したがって、府中闘争以来の遺産を有効に活用せねばと、夜間入浴の導入や地域移行の先行的取り組みなどを実施してきました。昨年には、当園で身障系の地域移行促進会議が都内・都外の10数施設が集い開催されました。ちなみに、旧都立3療護ではこれまで合わせて利用者40数人のアパート暮らしを実現しております。80年代には前述した夜間中学への通学支援終了後に、日野療護園の利用者の方が替わって入学されました。そのほか教育に関しては訪問学級の働きかけと実施も行っておりますし、就労が可能な方は作業所の通所やリサイクルショップの店番も長年やらせていただきました。日野療護園から始まった介助を予約する「介助要望制」や、当園から始まった施設オンブズパーソン制度も次々と実行しました。
67 (7) 権利条約批准後の障害者施設
そして現在、障害者権利条約が批准された中、障害者の地域移行促進が声高に叫ばれ、国の障害者計画でも数値目標が掲げられています。さらには今後障害当事者団体等がその実効性をめぐって国際監視要求を強めていくことも考えられます。施設のあり方がますます問われる状況にあります。身障協は「施設も地域の中の住まいの場の1つ」という考え方を打ち出し、生活場所は障害当事者の選択権を尊重し委ねる方針を原則的に掲げています。しかし、それだけでは対応策として見たときには、受身的な感じがしてなりません。施設利用の入り口が規制され、出口も国から地域移行が難しく高齢化してきたならば例外なく介護保険施設にしなさいと言われかねない状況があります。事実2号被保険者や65歳問題など、介護保険最優先方針は在宅を中心に多数の自治体の基本路線となっています。したがって、現状に対する評価・分析が益々重要となります。具体的には障害者独自の高齢化の問題、重度化の問題、併せて病弱化の問題を区別、整理し、障害特性を含む様々な角度から検証することです。
68 (8) 障害福祉サービスあり方等についての論点整理
これは、今年度(2015年夏〜)国が、社会福祉審議会・障害者部会で有識者を集め話し合う論点整理項目です。重要な論点はⅠのように①②と別れていたりします。例えば、Ⅷの高齢の障害者に対する支援の在り方では、●介護保険サービスへの移行の際の利用者負担について、●両制度の適切な支援の橋渡しについて、●介護保険にはない障害の独自サービスについての取り扱い(同行援護、行動援護等)、●障害を持って高齢期に至った高齢障害者の特性、●心身機能の低下した高齢障害者に対する障害者支援施設等やグループホームの位置づけ、●同じく日中支援活動の在り方、●同じく介護技術・知識の向上、マンパワーの不足、医療的ケアの充実、設備上の課題など障害施策と介護保険とのいわば「調整的統合」の視点が見え隠れします。そして、支援機能の喪失前からの「親亡き後の準備」なども議論の視点として入っています。
69 (9) 多摩療護園の高齢化について
まず高齢化の問題ですが、昨年暮れ(2015年冬)94歳の脳性麻痺の方がお亡くなりになりました。この方は府中療育センター時代を経験されています。当園入所当時は51歳でした。過去には同じく府中からの移転組で、95歳で亡くなった方もいらっしゃいます。しかし、利用者の平均年齢は過去数年間女性が男性よりも2歳~4歳ほど高いものの、60歳を超えたところで留まっています。現在は平均62歳ですが、24歳の重症心身障害者の方もおります。東京都では、まだ利用調整制度を厳密に行っていますので、障害の程度と家族状況などの緊急性を点数化し高い方が推薦されてきます。このところは、重症心身障害の方や交通事故後の頭部外傷後遺症、進行性難病の方など比較的若くて重篤な方々が推薦されてきますので、介護保険適用の65歳以上の希望者(長期間エントリーし続けた待機者の方など)についても入所ができる仕組みですが、推薦はほとんどない状況です。ですから高齢化といってもおのずと限度があります。当園の年齢上昇はほぼピークに達したといってもよいと思われます。実はこの2年間で、10人17%の方が死亡退園するという施設始まって以来の事態だったのですが、利用者の平均年齢は横ばいでしたので、比較的病弱な若い方たちが多く亡くなったと言えます。
70 (10) 地域支援実態と入所施設の役割例
そして、施設外に眼を移すと、地域で自立生活をされている短期入所利用者から、65歳前に何とか療護施設に入りたいという希望を伺う機会がかなりあります。現実的には東京都の利用調整制度が壁になって難しいのですが、当園でも参考になる再入所の事例があります。前述しましたが、女性の方で24年間当園に入所生活され、7年半地域生活を行い、当園に戻って9年間入所生活されてから亡くなりました。この方は脳性まひの方で、地域生活を断念したのも、ヘルパーさんたちが本人の重度化により支援ができなくなったと言えます。脳性まひの二次障害が進行して、疼痛のために本人から毎晩救急車を呼んでくれと言われるので困り果てたといったところです。結局偶然入所の空きがあり再入所後落ち着きを取り戻しました。本人が若いときから関わっていたベテラン職員などの適切な支援により穏やかな生活をされていましたが、最期は認知症状や消化器官の症状が進行し中心静脈栄養を当園で行うようになってから3ヵ月後に亡くなりました。まだ60代半ばの方でした。その教訓からは、障害者の方々一人ひとりのライフサイクル、ライフステージに合った支援、そのとき本人に適合した生活のあり方が可能な限り追求され、実現できることが重要だと思っています。
71 (11)高齢障害者の属性は障害者なのか 高齢者なのか、障害特性とは?
その上で、障害者が年齢を重ねると、ご本人は障害者なのか、高齢者なのか、属性はどちらなのかという問題があります。それについてはやはり、自己の障害者としてのアイデンティティーが歳を取ったからといって簡単に変わるわけではないように思います。障害者となったときの年齢や環境にも左右されますが、脳性まひの方は殆どの人がまず幾つになっても自身は障害者ですし、むしろ万年青年で好奇心旺盛な方が多いようにも思います。「歳を取ったらヘルパーさんに説明が伝わらなくなるから、療護の職員さんに支援してもらいたい」と、先ほど65歳前に療護へ入りたいという方たちの話題をしました。そうした人は先読みのできる方で、特に脳性まひの言語に障害のある方に多いと言えます。また、難病や脳血管障害などの特定疾病による障害の人では、まだ若いのに特養など介護保険施設で生活することには当然抵抗がありますし、加えて看護師などの医療職が少ない、あるいはPTが存在せず十分なリハビリができない施設も敬遠したいという思いが強いようです。私は2011年3月に全国の療護系施設にお配りした、療護施設自治会全国ネットワーク(通称:自治会ネット)の「障害者支援施設(旧療護)入居者の入居と地域移行に関する2011年3月調査」という、全国886人回答のアンケート調査の分析も手伝いました。そのときの印象では、事故や怪我で障害を抱えた人はいったん施設に入ると行動は非常に慎重で合理的な判断をする方が多いように思いました。そして脳性まひの方と違ってご自分の年齢についての受容度は高いようです。ちなみに、この時のアンケート結果では、施設の入居理由についての設問(16の選択肢)の回答で一番多かったのが『家族に迷惑を掛けられないから』でした。注目したいのは回答が異なった場合の変動率です。男女の9.8%に比して、障害要因別では36.7%と3.75倍も開きがあったのは驚きでした。様々な設問において先天性による障害の方たちの対極が事故・怪我による障害の方たちで、その中間に位置するのが疾病による障害の方たちというパターンが随所に見られました。同じ身障でも障害になった要因別で当事者の意識や認識にかなりの差があることがデータ的にも見えつつある中で、知的・精神を加えた障害特性の違い等も理解し整理しながら、高齢者とは異なる障害者支援の特徴や困難性についてもっと明らかにする必要があると思っています。知的重複障害の人が認知症になった場合は、高齢者の場合と異なる多様な支援が必要と考えられますし、障害の進行と加齢による変化が相乗効果的に重なるようにも思います。多少主観的かもしれませんが、多くの関係者が何となくこうではないのかと思っていても打ち出せないもどかしさを、客観的に示す努力は必要です。
72(12) 障害者の加齢進行は早いが、本当のところ支援量はどうなるのか?
その意味で、先ほど当園の利用者の個人別介助量とかつての支援費制度時障害程度区分点数との相関関係の話をしました。50点前後から急激に介助量が増えるという当園の結果が、自立支援法のときの障害程度区分では食事介助から経管栄養になると支援時間が少なくなるというように(確かに準備・見守りなどを除く、その行為だけを取り上げると物理的対応が減るようにも思いますが)、いわば障害が重くなると全般的に支援時間がむしろ減るという違いです。当園の調査結果と異なるそうした結論は素直に納得できない、私にとっては不可思議な現象があるという思いがありました。障害程度区分は高齢分野でのケア実態が下敷きになっており、考えられることは、最低限のニーズ対応ができてもオーダーが出せない分(本来必要な支援だが本人の主張が乏しくなった結果)限定的なケアのみで終わっているのかもしれません。(事実当園でも医療的ケアを含む定時ケアの比重が高まってきていますが)、そもそも支援総量が少ないため食事摂取方法程度でもやたら支援の増減比重が高まるのか、それとも当園は支援職員が多いので多少+アルファの支援を行っていると見るのか、はたまたそれ以外のことかと疑問がいっぱいでした。結論的には、今の障害支援区分ではそのあたりのことが解消されてきていると聞き納得しています。現場では、利用者のゆったりとした日常ペースとは裏腹に、職員はジェット機のようにその間を飛び回っています。それは例えば、多くの方がじょくそう予防と休息のため日中何度も車いすから自室で横になる介助が常態化してきましたし、移動も自走式や電動車いすから手押しストレッチャーに代わりポジショニングを含む介助時間が増えました。明らかにかつてはあまりなかった介助が気づくと増えているのです。また、元健常者であった高齢後障害者には、脱臼状態での関節固定とか、体幹や手足の変形、障害者特有の内臓疾患などの極端な状態はないですし、社会経験があったかないかの差も大きいと言えます。そのことは、意思疎通の困難性の差に繋がる要素としても違いを見なければなりません(コンタクトパーソンの必要性)。そして何よりも(高齢者施設の)そこが生活を終焉する場なのか、それとも(障害者施設の)そこが年齢を重ね病弱となっても生活を作っていく場なのかの違いは大きいと思われます。障害者の高齢化と言っても65歳以上の方々だけを集めた平均年齢では特養ほど年齢が高くはなく、暮らし方の違いが大きいように思います。単なるケア・介護施設ではなく、障害のほうは支援施設として存在するという位置づけの違いなのかもしれません。その違いこそが療護系施設の魅力で、理想的にはこれからも維持したいところです。
73 (13) 多摩療護園の重度化に関して
そして、重度化の問題ですが、とにかく先ほども言いましたように自分自身でできること
が極端に減っています。排泄、食事、入浴、移動、更衣など全てのADLに介助が必要となります。外出の要望等は若干減り気味でも逆に通院が増え一時期は大変でした。宿泊旅行にも行っていますが、泊りはつらいから日帰りにしたいという人が増えました。水分摂取はかなりの人がストローでは吸えないのでとろみを付けてスプーンで介助するようになり、そうした人は食事がミキサー食やソフト食の現在33%の方たちで、口腔マッサージケアを実施しています。胃ろうなど経管栄養の人は利用者全体の約5人に1人と4人に1人から減りましたが、一時的なもので増える傾向に変わりはありません。そして、危険のない範囲内で経口摂取を試す方もいます。これまで4人の人たちが経管栄養から経口摂取に戻りました。殆どの方が向精神薬の減量により好結果をもたらしました。中には活性化し過ぎて他害行為を起こす方もいますので、薬の減量も微妙で難しいところです。全般的に介助量が増え職員の手が足りなくなっている現実から、日常生活においてアクティブさに欠ける利用者への支援時間が、医療的ケアなど定時のケアを除き減少する傾向があります。一方、比較的アクティブな利用者の支援は、かつてのような自立生活支援など社会性の獲得にエネルギーが向っていた状況から、日常生活上の不適応症状として現れるニーズへの対応に苦心する事態へと入れ替わっています。そのため、日中の活動に協力してもらえるボランティアさんや実習の学生さんを10数年前から必死に集め、一時期は年間延べ約4000人を確保しましたが、障害が重くなるとボランティアさんの関わり方も限定される要素があるのか、社会変化との連動(余裕のある層がいなくなりつつある)要因なのか、一昨年まで80代のボランティアさんが何人もいらっしゃいましたが、シニア層が崩れ学生も減り今や半分以下です。そして、介助面だけではなく利用者のエネルギーが乏しくなってきますので、日中活動、地域移行と支援してきた職員のインセンティブ、エンパワーメントといった意識回路が生み出しづらくなります。利用者の状態変化が進む中、利用者ニーズに沿った支援のあり方を総合的にとらえ直さなければならないと考えています。
74 (14) 医療的ケアの重要性
加えて、今回最大のテーマととらえているのが病弱化の進行と医療的ケアなどの問題です。大変ですがある意味施設の生き残りをかけた戦略的な対応と言っても過言ではありません。「諸刃の剣」と思っています。療護系施設は今後も残ると思いますが、都内の知的障害者施設はもはや施設入所よりもGHの利用者が上回ってきています。古くからGHで生活をしてきた知的障害の方の高齢・重度化問題は対策が準備されてはおらず深刻な問題となっているようです。療護系に関しては、地方で人口に比して過剰と思われる施設数がある県は待機者も減り、都市部からの利用者獲得か、障害と高齢施設の抱き合わせで凌ぐようになるか、それともGHなど地域移行、地域支援に主軸を移す方向か、またそれらを同時併行的に行う可能性などもあります。かなり勝手なことを言うようで申し訳ありませんが、私は、このまま全国500か所を超える療護系施設が今日の流動化する情勢の中で無傷なわけがないと考えています。しかし、それなりに待機者が存在し、施設利用者の需要がある都市部の地域、身障協・関東甲信越地区ブロックで言えば、東京、千葉、神奈川、埼玉あたりでは、今後待機者はGHの増加などで減少するかも知れないものの、既存医療施設からの流入や早期発見・早期治療の進歩により障害の重い人たちのニーズは減らず、むしろ掘り起こされる可能性があります。その時の要は施設が医療的ケアを可能とするかどうかということに収斂されるように思います。私は、医療施設から生活を取り込むことはまだかなり難しいと思いますが、生活施設が医療を取り込むことは可能だと信じていますし、流れは明らかにその方向のような気がしています。当園では重症心身障害者(重度・重複障害者)の方の通所生活介護も1日当たり(土曜日を含め)9人受け入れていますが、東京都には人口比で見たときの重心入所施設は少なく、生活を重視した暮らしの場を希望する親のニーズの多さにも着目して、療護系の一部施設をこれに充てたいという考えが都庁にはあるようです(ですから当園にも利用推薦されてきます)。しかし、現行の療護系施設の医療対応水準には限界があり、さらに一段レベルアップした施設が必要となります。これは既に重症心身障害者を取り込んだ通所生活介護の施設入所支援版と言ってもいいと思いますが、むしろ一歩進んで、難病の方も含めた療養介護と生活介護・施設入所支援の「併設合体型」のようなものを互いに模索して来ました。これを『スーパー療護』構想とネーミングして、協議を重ねているところです。しかし、制度的には生活施設と病院の体系が大きく異なるため、既存制度の活用で実を取るのか、新たなモデル的取り組みとするのか、難しい課題があります。障害者の重度化進行の中、いずれにしても打開策を迫られている状況です。
75 (15)  社会保障審議会・障害者部会の報告書
総合支援法施行3年後の見直し論議から、結論として65歳になった方はどうも一律介護保険の適用となるような方向ですが、入所施設はどうなるのかということに関心が注がれます。報告書抜粋➡(障害者制度と介護保険制度の連携)『障害福祉サービスを利用してきた障害者が、相当する介護保険サービスを利用する場合も、それまで当該障害者を支援し続けてきた障害福祉サービス事業所が引き続き支援を行うことができるよう、利用者や事業者にとって活用しやすい実効性のある制度となるよう留意しつつ、その事業所が介護保険事業所になりやすくする等の見直しを行うべきである』➡論議の過程では障害者の方が長年親しんだ生活を解消するのは得策でないといった趣旨の発言も見られ、よって現施設において近い将来介護保険制度で対応してほしいと言われるかもしれません。しかし、それは不可能ですし、周辺の介護保険事業所でも受け入れないと思われます。かつて『都立重度』と言われた65歳以上の殆どの方は、このところ入所された療養介護対象領域の方々よりも支援量が多く、介護保険では報酬単価が大幅に低くなり、また制度変更で都からの補助金もなくなると考えられるからです。年齢制限があってある日から東京では1/3のケアで我慢してほしいということになる。それでは生命維持も危ない支援放棄に等しい状況となることが免れません。無論、医療的ケアやADL支援のみならず障害特性への配慮、一人ひとりの個別性を見極めた権利擁護も全くもって困難と言えます。そして、この事態は運営上65歳以下の利用者にも影響しますので、重度・病弱化した利用者総体を守るための大問題に引きずり込まれそうで厭な予感がします。高齢化した最重度利用者の支援に必要な人員実態から察して、彼ら彼女らをただベッドに永らえさせ死を待つような状況に連れて行くわけにはいきません。明らかにサービスの質と量が異なるため、当事者(家族)が希望する場合には障害者施策を継続して利用できるよう、本人の選択権を前提に対応していただきたいと考えています。
76 (16) 私達の進むべき道はどうあるべきか
障害者福祉の大変動で感じることは、先進的な取り組みをする者ほど梯子が外され大けがをしかねないということです。そうした見方が広がると誰も動かなくなります。しかし、守りに入っていてばかりでは道を拓くことはできません。『可能性の限りない追求』(身障協3つの理念②)を忘れてはならないと考えます。私たちは長年重度障害者支援を行ってきました。そのため、狭間におかれた多くの重度・重複障害者や重度難病者、重度高次脳機能障害者等の方々の実情を知っています。ですから『最も援助を必要とする最後の一人の尊重』(身障協3つの理念①)は私たちの原点です。日常業務だけに流されていては『共に生きる社会づくり』(身障協の最後の理念③)に近づけません。いわゆる療養病床も生き残りを掛けて、介護を軸とした仕組みの模索がなされており、重度障害者支援の立場でも制度を動かす取り組みは重要だと考えます。期せずして、この療養病床の動きは医療に対し介護あるいは生活という視点がより浮上するということであり、当園の問題意識とも重なる部分があると言えます。そして、医療と生活の狭間におかれた方々への支援拡大を予見させます。そうした今日の時代状況をつぶさにととらえる必要があります。
77 (17) 新規事業のイメージと共に生きる社会づくり
今日、社会福祉法人制度が形作られてから65年目にして、社会福祉法人の大改革が行われようとしています。社会福祉法の一部を改正する法律が年度内にも成立する見通しです。非営利事業者としてふさわしい、中身と実績を追求することがさらに問われます。そして、困難な時代ですが、ようやく重度障害者と共に歩んできた私たちも飛躍のときを迎えつつあります。過去44年の療護、障害者支援施設としての取り組みを礎に、優れた最重度障害者支援のシステムを考え構築して行こうではありませんか。それは約半世紀の時を超えた、医療と福祉(生活)の壁を乗り越える府中療育センター闘争の真の総括を目指す思考なのかもしれません。
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