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園長ブログ(旧ブログ)

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「東京都重症心身障害児(者)を守る会」総会2部に参加しました。

2018-05-15
久々のブログです。一昨日の日曜日、「東京都重症心身障害児(者)を守る会」の総会に、部外者ですが案内が来ていましたのでお邪魔しました。「全国重症心身障害児(者)を守る会」東京都支部会長の安部井さんとは、東京都自立支援協議会で同じ委員会に所属していましたので存じておりまして、率直で忌憚なくお話ができる信頼の厚い肝っ玉母さんといったイメージの方です。絶えず大勢の方の中心にいらっしゃったのでご挨拶が出来ず残念でした。
 
会の成り立ちと課題
「全国重症心身障害児(者)を守る会」は、1964年にあった東京オリンピック開催の4か月ほど前に結成されました。「守る会」は、重症心身障害児(者)の父母、保護者、またはそれに準ずる方々で構成されており、現在1万人1千人近くの会員数のようです。全国の重症心身障害児(者)の推計数43,212人(うち入所者20,488人)で、東京都は総数4,676人(うち入所定員は10施設・1,414)とのこと。計算すると、東京都は全国平均と比べると入所枠は64%ほどで、803人分少ないことになります。
 
80代の親が50代の子を抱える問題―重症心身障害者は早く始まる
そんなことなどを考えていると、昨年12月8日に都庁内で開催した、自立支援セミナーを思い出します。「『超高齢社会における障害者と家族』8050―老障介護で孤立する家族をどう支えるか」というテーマで500人近くが集まりましたが、私もパネリストの一人として「重度障害を抱える子と親にとっての8050」について少し話をしました。その時重症心身障害の方の待機者数は約600人と説明しましたのに、最近「待機者は700人を超えた」という話を聞いております。やはり施設が足りないようですし、東京都が予想しないようなスピードで変化しているのではないのかと思います。療護系施設待機者の2倍以上です。そして、重症心身障害者の親子の場合重度化の進行が速いため一般的に言われている年代よりも課題が先行的にやってきます。
 
重度重複障害者をはじめとした最重度の方のグループホームについて
医療の進歩で出産時の死亡率が減少したことや重度重複障害がある方への支援スタイルが少しずつ確立されてきた中、該当人数の拡大に加え平均寿命も延びているという話を何度も耳にしています。今後は子の重度化と親の高齢化について考えねばならず、共倒れにならない道を何とか準備しなければなりません。都内で療養介護施設の増加が難しいのであれば、自宅(在宅)と療養介護施設(病院)の中間に位置する、重症心身障害者に対応できる医療職を強化したグループホームの設置に向け、制度を充実させ増やしていく道はないものでしょうか。6年前に当園を通所利用されているご家族からの要望で、そうした最重度の方々のグループホームを目指して共に取り組んできました。地域生活領域で今よりもある程度密度のある医療を取り込むことが、まだ若い重症心身障害者にプラスの効果が望める。ご家族の多くはそうした生活への希望をお持ちです。ここ数年が踏ん張りどころかと思っています。
 
講演会の様子について
話を戻しますが、私は「守る会」の会員ではありませんので、第2部講演会からの参加となりました。講演は、「守る会」常務理事の宇佐美岩夫氏から、平成30年度の報酬改定の概要について、医療的ケア児者の支援に対する常勤看護師加配の場合は報酬がプラスになったなどの説明がされました。続く東京都の行政説明は、障害児・療育担当課長の田中壮史氏で、新任課長さんですが以前から存じ上げている方でした。「どんなに障害が重くても、必要とするサービスを利用しながら、障害者本人が希望する地域で安心して暮らせる社会の実現を目指します」との理念から始まり、通所施設の定員、登録者数は右肩上がりで増え続けていることなどの資料が紹介されました。最後の講演は、教育庁都立学校教育部主任指導主事(特別支援教育推進担当)の和田慎也氏で、医療的ケアが理由でスクールバスに乗車できない児童・生徒全員が、看護師配置で乗車できるようになったことについて説明がされました(教員が家庭に訪問する訪問籍の方も通学籍に切り替える方が増えそうです)。
 
会長発言から現実対応の厳しさが伝わる
冒頭にお話ししました、東京都支部会長の安部井さんは、各講演終了時に行われた区市町村等分会会員からの講師への質問に対して、「もう少し関連する課題の情報を集めるなどの努力をしてから質問してほしい」「子供が学校を卒業した後はそれまでのようにはいかない」など身内に手厳しい。「子への支援当事者はあなた方よ」という叱咤激励の意味がこもっているサゼッションではなかったと思われます。歴史ある「守る会」の総会に参加させていただき、多くのことを学ばせていただきました。大変ありがとうございました。

災害に向き合う困難さと災害に備える勇気

2017-12-21
 「大規模災害発生に、どう対応する?災害時に設置される『災害ボランティアセンター』には、被災状況やボランティア相談など、様々な情報が寄せられます。数々の情報をどのように整理し、どう対応していくのか、グループごとに検討する訓練です」との呼びかけのもと、日野市内で災害ボランティアセンター立ち上げ訓練が、12月13日、「ひの煉瓦ホール」(市民会館小ホール)で開催され、約100人の市民が集まりました。

 災害ボランティアセンターは、実際に必要とされた場合、日野市の要請で日野市社会福祉協議会が立ち上げることになっていますが、とても社協の職員さんだけでは対応ができません。そのため、市民や有識者・関係団体が日野市の協力などにより「みんなで作る日野の防災プロジェクト」を設置し、このような企画を共同で取り組んできました。私が代表となった日野市社会福祉法人ネットワークでも重要な協力事業の一つと位置付けており、多くの法人・事業所の皆さんが参加されました。

 訓練は、6人程度のグループに分かれ、まずは災害情報が読み上げられます。「市内の河川が氾濫し、死者・行方不明者数などが地区ごとに刻々と情報提供されます。広範な崖崩れ情報もありました。さすが地元ならではの企画です。防災マップの危険地域を意識した想定被害状況で、あの辺りは低いからなあー、あそこは急斜面だしなあーと考えていると、その暇もなく矢継ぎ早に悲惨な情報が入り頭にそうした情景が浮かび上がってきます。

 「○○地区の障害施設で利用者と職員が孤立しています」〝あ~あ~、あそこの障害者施設だ“とすぐ気づきます。「さてどのような判断をしますか」という説明文でグループ討議に入りました。「確か路線バスが3台使えるという情報があったよねえ」それに乗せて避難すればいい」という意見が出ました。私は「その施設は利用者の特性の問題もあり路線バスでの避難は難しい」と答えましが、多数のメンバーがとりあえず救出まではしなければならないという意見で、私も同意しました。

 「答えは一つではないから」。確かにそうかもしれないが内心納得はいかない、改めて「情報がすべて」と思いました。そして、「危機に対応する集団の難しさ」を感じました。一緒になったグループの皆さん有難うございます。
 
 そのほか、4つのケースの質問課題を終えたのち、総括的に大学の先生からまとめのお話がなされましたが、「施設障害者と職員の避難は、消防か自衛隊でしょう。災害ボランティアセンター役割ではありません」と明快な回答がありました。

 今回の訓練では、やはり2011年の東日本大震災を思い出さずにはいられません。所属障害種別団体の全国身体障害者施設協議会・関東甲信越地区ブロック(1都9県)で行った物資の移送や陸前高田での障害者・高齢者への入浴介助支援です。三陸沿岸部支援のプラットホーム会議(様々な支援団体が定期的に集まって情報交換や連携協議を図る場)に交代で出席しましたが、同一地域での支援であっても、各団体の事情や思いは一様ではありません。そうした経験が懐かしく、今回の訓練を通じて思い起こされます。当日は風邪気味だったので行くのが億劫でしたが、参加して少し元気をもらったような気がします。
 
 

つぶやきから始まる園長ブログ

2017-11-10
 施設のホームページが法人のホームページとしてリニューアル化した。そしてこのブログが始まる。私が思いついたときに自由に書くことが出来ると担当者から推奨されたのだがこれは大変だ。というのは、現在の私にとって末席を汚すレベルでも国の制度・予算対策や東京都社会福祉協議会の部会、地域公益活動などに係る活動が多くなり、関心の集まることでもあるわけだが、伝えたくてもそれらは微妙で責任をもって公開できないからである。
 
 例えば報酬改定や都の補助金の議論などは様々な考え方や立場の違いに加え、過渡的状況は場合によって180度異なる結論が待ち構えていることがある。主観的なことを伝えて、デマを飛ばしたと言われたくもないし、そうかと言って持論の追求を怠るわけにもいかない。そうした悩ましい状況は、一方で自らの力不足ととらえざるを得ない本音もある。
 
 今の私は施設の営業部配属と言っても過言ではないが、営業部というのは自社製品(施設でいえば支援サービス)が如何に優れているかを宣伝して売り込む部署だ。そう理解すると、当法人が運営する福祉施設の良さを最大限アピールしなければならないが、むしろ私は施設の良さも欠点も相対的、客観的にその姿を認識し、プライバシーに触れない可能な範囲のなかで世間一般に伝えなければならないと思う。
 
 多摩療護園に勤務して40年近くになるが、施設は昔から予測しがたいことがどんどん起きて、対人支援はそう簡単なものではない。でもそこには他の仕事にはない魅力も確かに存在する。施設で鍛えられてきた人は、支援者としての素地が悩みながらそれなりにできている。地域支援という大海に乗り出してみるのも新しい発見が多くさらに遣り甲斐があるはずだ。相談支援に関わっている職員は仕事に追われているものの、生き生きとしている。
 
 「当たり前の生活を目指して」は、私が勤め始めた後に高揚した1981年国際障害者年の「障害のある人もない人も共に生きる社会を」というスローガンの施設内表現だった。今は進む重度・高齢・病弱化の中で、以前よりも目指す当たり前の生活レベルが遠のいていくような寂しさを感じる。しかし、利用者の平均年齢が40歳に満たなかった時代から60歳を超える時代となった以上これは当然の成り行きであろう。
 
 だが、高齢化とは言うものの、障害者として生きた時間が長い人にとってご自身のアイデンティテイは「障害者」であり、健常者が老人になっていく過程と同じではない。その違いはこれまで常に感じてきた。障害特性に配慮した超高齢化時代にふさわしい障害者支援を如何にして実現していけるのか、それは当法人と当園職員、利用者自身の中心的課題である。多摩療護園の50周年まであと4年余り、これからはもっと地域社会を見つめよう。揺らぎからビッグバンを経て宇宙が広がったように、地道な取り組みの先に飛躍の時を迎えよう。
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多摩療護園通信【ブログ】
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